東京福生中央RC 祖父江 重夫 氏
私は名古屋で生まれました。尾張祖父江村の地侍の末裔です。父は医者でしたが、昭和20年に急逝してしまいました。まだ10代でしたので途方にくれましたが、そのころ伯父が住んでいた家が進駐軍に接収され、そこに住んでいた米軍司令部の教育局長が高校卒業まで大変熱心に英語を教えてくれました。
その縁でアメリカ人に日本語を教えるアメリカ軍の学校に入れてくれ、そのあとアメリカ教育局で米兵に日本語を教える仕事まで頂き、大変にありがたく思っております。その後アメリカの大学を卒業し横田基地で働くことになりました。当時は駅を降りましたら、とうもろこし、お茶、さつまいもの畑が広がり、家は1軒もありませんでした。今は家だらけです。
そこでの思いではたくさんありますが、1線を退いていたマッカサー元帥夫妻が体調が悪く、横田基地のどこかに泊まることになり大騒ぎになったこと。アメリカの商務長官が来日し、繊維交渉のあと帰国するのに横田を使ったことがあり、夕食会にライシャワー大使夫妻や当時の佐藤通産大臣夫妻が見え、大使のはる夫人の日本女性の良さと、西洋夫人の良さを兼ね備えた堂々とした態度に感心いたしました。
