2011年06月08日

5月31日例会卓話

「米軍勤務の裏話」 
       東京福生中央RC  祖父江 重夫  


 私は名古屋で生まれました。尾張祖父江村の地侍の末裔です。父は医者でしたが、昭和
20年に急逝してしまいました。まだ10代でしたので途方にくれましたが、そのころ伯父が住んでいた家が進駐軍に接収され、そこに住んでいた米軍司令部の教育局長が高校卒業まで大変熱心に英語を教えてくれました。

その縁でアメリカ人に日本語を教えるアメリカ軍の学校に入れてくれ、そのあとアメリカ教育局で米兵に日本語を教える仕事まで頂き、大変にありがたく思っております。その後アメリカの大学を卒業し横田基地で働くことになりました。当時は駅を降りましたら、とうもろこし、お茶、さつまいもの畑が広がり、家は1軒もありませんでした。今は家だらけです。       
 そこでの思いではたくさんありますが、
1線を退いていたマッカサー元帥夫妻が体調が悪く、横田基地のどこかに泊まることになり大騒ぎになったこと。アメリカの商務長官が来日し、繊維交渉のあと帰国するのに横田を使ったことがあり、夕食会にライシャワー大使夫妻や当時の佐藤通産大臣夫妻が見え、大使のはる夫人の日本女性の良さと、西洋夫人の良さを兼ね備えた堂々とした態度に感心いたしました。

 日本でのオリンピックのあと、アメリカで環境庁ができ、いろいろな規制も基地だからといって例外はなく非常に厳しいものでした。そのためアメリカに勉強に行かされ、帰国後横田基地の環境を整えました。その結果ペンタゴンで表彰されました。もっと話したいことはたくさんあるのですが、時間が来てしまいました。ご清聴有難うございました。 
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2011年06月01日

5月24日例会卓話

「陸軍中野学校秘話」        
  
  東京板橋RC 経済学博士
 
         高山 精雄
  

挨拶:「いらっしゃいませ」は返事が出来ないので「おはよう・こんにちは」の方が良いと学校でも教えています。
お墓:お墓ばかり作っていったら、狭い我が国は土地が無くなってしまうので、早晩散骨葬にしたほうが良いと思います。
戦争にて:出兵するときは「行って来ます」でなく「行きます」と教わりました。
ビジネス:戦後ハーバード大学の「今後成長する分野」レビューすなわち

(1)健康産業を含む医療 

(2)文化活動を含む教育

(3)環境問題
のうち、「医療と教育」に携わっております。儲からなくても、役に立つことをすれば仕事は旨く行きます。
陸軍中野学校:1940年(昭和15年)には陸軍中野学校と改名し、1941年(昭和16年)には参謀本部直轄の軍学校へ転身する。スパイ技術養成機関でありその存在は陸軍内でも極秘とされていました。私は1944年(昭和19年)8月に出来た陸軍中野学校二俣分校に入学しました。どろぼうの歴史、手法、鍵や雨戸の開け方、爆破の仕方など様々な事を学びました。
戦場では後方撹乱行為などを行いましたが、拷問などの場面にも立会いました。
今後の世界:フランスのミッテラン大統領の側近だったジャック・アタリ氏の著書「21世紀の歴史」において「これからは世界が多極化多国籍化する」と述べられている。我が国においては、これからは更に超高齢化社会に突入し、裕福な高齢者に喜んで貰えるビジネスが成功すると思っています。
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2011年05月25日

5月17日例会卓話

最新の地震予知研究について
   
3・11 東日本大震災の予知/予測はなされていたか?」


              起業家相互支援クラブ21
創設者 犬伏裕之氏

 
<経歴>
1984年3月 早稲田大学大学院 理工学研究科修士修了。
同年 4月 総合電機メーカに入社。
2001年10月 電気通信大学・早川研究室に社会人大学院生として入学。
      地震予知研究を個人の立場で推進。
2004年8月 ハイテクベンチャーのビジネスプランコンテスト*に
      「地震予知」をテーマとして応募、ファイナリスト8名に入賞。
      * 日本MITエンタープライズ・フォーラム主催
2007年1月 日本で初めて「地震予知」を事業継続計画(BCP)に活用する考え
      を提言**
      :**  「BCP(事業継続計画)時代の地震予知実用化ビジョン」


 犬伏氏は2001年から社会人大学院生として地震予知研究に取組みを開始され、現在も個人の立場で研究活動を継続されている。

まず地震予知についての予備知識として「地震予知の定義」、「東海地震における地震予知」、「地震予知の手法」等を説明頂いた。

 

 次に、氏の考えでは地震予知は「国のレベル」、「大学等の研究者レベル」、「企業レベル」、「アマチュアレベル」といった4つのレベルがあるとのことで、その各レベルの概要を説明頂いた。特に実用化のトライアルといえる「企業レベル」ではインフォメーションシステムズ() 、八ヶ岳南麓天文台、()麒麟地震研究所、()新興技術研究所、NPO法人・大気イオン地震予測研究会が情報サービスを行っている。3・11 東日本大震災の予知/予測はなされていたかについては5社中2社が「事前にアナウンスできた」、ないし「3月5日〜6日に異常を検知していた」とのことである。
 また5社中2社は「『日本海か東北沖合』の『
M6.9』の地震として比較的先の時期を予想した」、ないし「38日の三陸沖の地震が予測に該当する」として311日の地震に対応できなかった。
 更に5社中1社は原理的に海域の地震の予知は困難であると考えられ予測はできてなかった。この様に5社中4社はある程度予測がでていたとのことで今後の各社の成果に期待したい。

 

なお、氏はご自身で「月間地震予報」を20072月から提供しているが、3・11の地震を踏まえて「首都圏向け週間地震予報」の提供することを検討中とのことであった。
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2011年05月19日

5月10日例会卓話

[お祭りミュージアムについて」 

    当クラブ
 瀧澤一郎 会員
今日は、昔の画や写真からたどる三社祭とその衣装の変遷をご覧いただきながらお話をさせていただきます。
江戸以前の関東地方の御神輿やお祭衣装についての史料は殆どありません。江戸時代以降でも、屏風や浮世絵や錦絵にわずかに登場するくらいなのです。1625年(寛永2年)の江戸名所屏風絵風、1662年(寛文2年)に浅草寺縁起(寛文縁起)などは珍しい部類に入ります。現存する図説として最古のものは1804年に編纂された「輿車図考(松平定信編)」です。遅れて1861年には一ツ橋家の求めに応じて幕府の御用絵師住吉内記宏定によって1863年(文久3年)までに描かれた「神田明神祭絵巻」があります。そうした少ない史料ではありますが、色々な時代における「御神輿とその衣装」の比較をしながら、変遷の歴史を考察してみました。今月の27日までお祭と御神輿の中心地である浅草で、お祭に関わる情報発信基地として資料館「お祭ミュージアム」をオープンいたしました。お祭衣装のいなせな着こなしなども指導しておりますので、ぜひ、皆様のおいでをお待ちしております。
 
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2011年05月02日

4月26日例会卓話

「東分区はひとつ」     
       東分区ガバナー補佐 和田 九三氏

 
東分区の沿革をお話いたします。1950年に東京クラブが北クラブと南クラブに地域を分けて全東京が3クラブ体制になりました。さらに5年後北クラブが江東5区を分離しして東京東クラブが東京で4番目のクラブとして誕生しました。

それから先は急速にクラブ拡大があり、東クラブが創立5年後江北クラブを、続いて江東、江戸川と子クラブを作り、北クラブ、南クラブ、西クラブもそれぞれ子クラブを次々と誕生させたため、1965年に分区という制度が採用されました。江北クラブから葛飾が生まれ、葛飾東から生まれた葛飾中央クラブは東京東クラブから数えると玄孫(やしゃご)と言うことになります。

後に佐藤千壽パストガバナーが分割委員長になって、JR中央線を軸に東京を2つの地区に分け現在の体制になりましたが、東分区は全クラブが東クラブ系統の親子孫で繋がっており、これが「東分区はひとつ」と言われるもとになっています。この絆を深め、心をひとつにして分区内の活性化を計り、ますます結束が強くなることを願っております。

一年間ご協力いただきましてありがとうございました。

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4月12日例会卓話

「天神様のお話」    
         亀戸天神社 宮司  大鳥居 武司氏

 
天神様の由来はが菅原道真を祭神として九州の大宰府天満宮から始まりました。大宰府の宮司が9代目の時、その兄弟が亀戸の地に亀戸天神を創建しました。それから私で12代目となります。

創建のいきさつは、江戸時代明暦の大火(振袖火事)が起き、10万人の犠牲者が出て江戸の当時の人口の、1割の人が亡くなったそうです。その人たちは回向院に葬られました。その時代は隅田川以東は江戸の市街地の範囲ではありませんでした。大火後、今の本所一体を防火的な町として開発することになり、本所の東北隅(鬼門)に天神様を祭ることになり、両国橋のたもとの広場(火避け地)で勧進を行い、建設の資金にしたそうです。

普通新しい土地に神様を祭る場合、八幡様を勧請することが多いのです。なぜ天神様かというと、これは私見ですが、戦国時代の名残も薄まり平和の時代となって、八幡様(武運の神)よりも天神様(芸能、学問の神)のほうが相応しかったのではないでしょうか。
今年で創建350年目となりますが、神社としては新しい方です。菅原道真(雷神)は最初は怨霊として恐れられ、雷農耕芸能・学問の神様と変化して行きました。祈願に来て下さる人は、以前は合格祈願がほとんどだったのですが、最近は少子化の影響か秋から暮にかけて推薦入学祈願、就職祈願、そして厄除け祈願などにおいでになります。時代と共に変化していくようです。江戸時代にたいこ橋の修理を行った時、深川芸者が帯の新しい結び方を考案、そろってわたり初めをしたので、たいこ橋がたいこ結びの名前の由来となりました。境内の藤の花は大震災が起きようと花を付けて5月の連休のころには見ごろとなります。いまその準備をはじめています。是非ご家族そろってお出でください。 

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2011年04月19日

4月5日例会卓話

「思いやりの連鎖」
 広報コンサルタント 小田 順子氏

 メールの役割は、情報を正確かつスピーディーに伝えるということですが、それだけのもので    はなく、コミュニケーションの非常に重要なツールだと考えています。若い人達は、パソコンが上手に使えれば自分は優れたビジネスマンだという考え方になりがちですが、そういうことは関係なく、メールをコミュニケーションのツールとして上手くつかうには、挨拶がきちんと出来るとか、身だしなみがしっかり出来るとかが必要であります。ビジネスメールのマナー・ルールを知ることで、
自分の時間を有効に使える
相手に無駄な時間を使わせない 
不愉快な思いをさせない 
この事が、メールをビジネスに有効に使ってゆく手段でしょう。

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3月29日例会卓話

「臨時クラブ協議会」

3月26日(土)に予定しておりました「夜間例会及び観桜家族会」は東北地方太平洋沖地震のため中止となりました。
3月29日(火)は通常例会に変更し「東日本大震災についての情報交換」をテーマにクラブ協議会を行いました。
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2011年03月25日

3月22日例会卓話

「空き店舗は宝の山」        
    活毛屋 監査役 安井潤一郎氏
  

安井氏は東京新宿区に生まれ、早稲田中学、高校、大学に学んだ、生粋の早稲田っ子。家業のスーパー稲毛屋に入社後、早稲田商店会会長に就任。1996年、環境を切り口とした商店街活動に取り組み、商店会の夏枯れ対策「エコマーフェスティバルイン早稲田」を開催。同年11月には早稲田周辺の七つの商店会によるユニークな、ごみゼロ実験に取り組み、「ごみからまちおこし」として注目を浴びました。

2005年には衆議院議員となり首都圏地震対策議員連盟を設立、事務局長就任。建物の耐震化に取り組みました。2010年緊急災害日用品必需品備蓄推進協議会事務局長就任。今回の東北関東大震災でも活躍中。議員時代、東海、東南海大地震の想定は聞いたことはあったが、今回のように津波による大災害は建物の耐震化では役にたたず、まったく想定外だったそうです。

本題にもどって、古い商店街の人たちは、元気な若者が知恵を出し、地元の特徴を生かして、みなが元気にならなければいけない。何もない早稲田の町に日本中の修学旅行の生徒が見学にくる、「ごみ減量リサイクル」が「まちづくり」へと進化し、定住人口が増加という奇想天外な「まち場」の活動を今後も続けて行きますとのことでした。
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3月15日例会


東日本大震災のため臨時休会でした。
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2011年03月16日

3月8日例会卓話

「花街で学んだこと」 
    (有)よこい 代表取締役
    
東京臨海東RC幹事 伊勢亀 由喜子氏

伊勢亀さんはお父様が料理人でその会社に勤めておりました。会社の職人さんが料亭千代田に派遣されていた関係で、千代田とのご縁が出来たそうです。

千代田のある向島は東京の6花街のひとつで、女の子は200人、そのうち100人が芸者だそうです。この世界はタテ社会でおかみは絶対で、ちょっとおかしいと思っても従わなければならないとのこと。先輩後輩の関係もきっちりしているようです。それでも女性としての自己研鑽にもなるし、京都へ勉強に行かれることもあり、東京との違いを強く感ずることもしばしばだそうです。

伊勢亀さんもお父様の勧めで、修行するために千代田に入り、今わかおかみとして活躍しています。現状はなかなか大変で、女の子は若くて昔の歌が唄えないし、どうしても人件費が高くなってしまうとのこと。おいしい料理は時間がたつと味が落ちてしまうので、いかに早くお座敷へ運ぶか等の苦労もあるようです。もうじきスカイツリーが完成すると観光客は増えるでしょうが、花街へは来るとは思えないので、ツリー周辺に来る企業の人たちに期待して頑張って行きたいとのことでした。
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3月1日例会卓話

「近況報告」

当クラブ 鈴木秀史会員

生まれも育ちも葛飾柴又という鈴木秀史会員の幼少の頃のこと、当時の柴又の様子、そして小学校の同級生樺山会員とはその後いろいろな会で奇遇にも一緒になったという、そのご縁について話されました。
大学卒業後8年間サラリーマンを経験した後、家業の保育園の仕事に携わり、平成11年には保育園を社会福祉法人とし、平成17年からは学童保育の運営も行っているそうです。
近況では、昨年誕生した3ヶ月になる孫娘美月ちゃんのこと、禁酒生活のこと、また、今年になって奥様が貧血で1週間入院された時には、毎日お見舞いに通ったことなどをお話されました。
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2011年02月28日

2010〜2011地区大会

日時 2011年2月23日()・24日(木)
会場 ホテルニューオータニ
ホスト 東京保谷RC
 
プログラムの大要
    大会大1日目 2月23日() 
1430 本会議点鐘 
1510 新世代からの発言「ロータリーと私」
1620 パネルディスカッション「四大奉仕の活性化」
1830 RI会長代理ご夫妻歓迎晩餐会 

○大会2日目  224日(木) 
1300 本会議点鐘 
1545 記念講演 「夢を創る」  
    建築家 安藤 忠雄氏
 
1700 委員会報告 
1830 懇親会

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  参加クラブ紹介

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 記念講演:安藤忠雄氏

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2011年02月17日

2月15日例会卓話

剪画アート 一その世界と魅力一」  
剪画アート&スペース
  小野寺マヤノ氏 

剪画という名前の由来、剪画が出来るまでの工程、日本剪画協会の活動内容などを説明していただき、スライドにて魅力ある剪画作品の数々を紹介していただきました。

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2011年02月16日

新年会・新会員歓迎会

新年会・新会員歓迎会報告 例会に引続き、同会場「ゑびす家」にて、1月に入会された近藤宏一会員の歓迎会を兼ね新年会が開催されました。昨年同様今回もしゃぶしゃぶを用意していただき、美味しいお鍋を囲みながら楽しいひと時を過ごしました。後半は鈴木秀史カラオケ委員長の進行の下、皆さんが次々と持ち歌を披露してくださいました。中でも李さんの透き通るような美しい声には一同が聞きほれました。カラオケは大変盛り上がり、鈴木正名次期幹事の中締めの後もしばらく続いておりました。大勢の皆様にご出席いただきましてありがとうございました。(32名出席)
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2011年02月04日

2月2日例会卓話

「イニシェーションスピーチ」 
        近藤宏一会員
 



新入会員の近藤宏一と申します。

昭和4612月に私の父「近藤郁」が葛飾区西亀有一丁目に葛飾清掃(現潟Aミック、創業当時の社名は地区の「葛飾」と業種の「清掃」が入った分かりやすい社名でした。)を創業致しました。ですので、今年12月で創業40周年になります。

創業当時、葛飾区に弊社の様な仕事をする会社が少なく、先代が建設会社より脱サラをして様々な人のご協力の元、創業をしました。

2001年に営業地区も業務内容も増えたので、社名を「アミック」に変更しました。

潟Aミック(AMIC)の意味は、アクション・ミッション・インパクト・チャレンジの頭文字です。(今回の為に作りました。)

最近は公共事業(清掃事業)の他に、皆様のお困りの事をご解決します。

新規事業としてホームページの企画デザイン作成、祭や催事、パーティーやイベントの企画運営等、各種紙媒体、ポスター・チラシ等の企画制作や芸能人の手配もしております。

 業務&私についての詳細は弊社ホームページをご覧下頂けると幸いです。

潟AミックHP http://www.e-crean.com/

 これからも、ご指導ご鞭撻を宜しくお願い致します。

最後に好きな言葉で締めさせて頂きます。

 達磨さん、達磨さん、笑うと負けよ。アップップ にらめっこっていいね。負けても笑顔だね。 by武仙

「笑う門には福来る。」

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2011年01月20日

1月18日例会卓話

 「椿山荘の庭と三重塔」 

         鞄。田観光営業アドバイザー
         蒲ホ化計画 代表 諸井 宏益氏 
 

講師の諸井氏は長年椿山荘に勤められ、庭園の維持管理に携わりました。その間椿山荘だけでなく、六義園や小石川後楽園をはじめ全国700箇所以上の造園工事を手がけられました。そして最近造園の会社を興されています。

椿山荘は明治の元勲山縣有朋が造ったのですが、彼は他に京都の無隣庵、小田原の古稀庵を造りました。どの庭も山縣の原風景が表われています。それは萩の生家、椿の群生地、川、海岸などの風景が彼の心の中で心象風景として醸成されたものです。因みに椿山荘の命名は萩の椿からきたものです。どの庭も水、芝、樹木で構成され、無隣庵は生家の風景が、椿山荘は見下ろす感じが萩の海岸線に似ているそうです。なぜ今の場所を選んだかは、見下ろす場所が大隈重信の早稲田大学であり、当時の力関係を表わしているとの説もあるようです。

  椿山荘の当時のビューポイントをパワーポイントで解説され、広島の竹林      寺より85年前に移築した三重塔のお話をされました。この塔は室町時代の建立で、600年くらい経っているそうです。塔はもともとスツーパといってお釈迦様のお墓でしたが、日本にきて三重あるいは五重の塔になりました。その三重塔を修理した時、残念ながら仏舎利は出てこなかったそうです。また構造についてのお話もあり、真ん中の心柱と周りの組み物による柔構造が地震に強い理由とのことです。いま建造中のスカイツリーも考え方は似ているとのことでした。
 大変興味深いお話を伺い、次に機会がありましたら、ゆっくりと庭園内の史跡を鑑賞したいと思いました。
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2011年01月19日

1月11日例会卓話

「くりすたるあーとの世界」  
    京友禅作家   氏                    

                  

 京友禅作家である林氏は、木の葉そのものを樹脂によって布地に定着する方法をある程度完成させたが、どうしても折れ曲がった時に弱く商品にはならなかった。ある時お客様へのサービスとして、お客様の手鏡の裏に開発した樹脂によるアートを施したところ好評で、次第に有名になり「くりすたるあーと」として売り出すことになった。例えばノートパソコンの表面とか、今では携帯の表面などに施している。しかし一品生産しか出来ないので、世界で唯一つの自分のものという、個性を表現できるところが評価されている。大手のパソコンメーカーのシャープを始としてIBM,ソニーなどが関心を示し、展示会などのイベントとしてその場で製作の実演を行った。あのマイクロソフトのビル・ゲイツに見せるための依頼もあった。
最近ではサンリオの「和」を強調する店舗からの依頼とか、ミュージシャンのガクトからも依頼を受けた。今、くりすたるあーとの拠点を調布に移したので来て頂ければその場で製作するとのことでした。

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2011年01月05日

12月14日例会卓話

「心の唄活動について」
     NPO暮らしと耐震協議会 
      理事長 木谷 正道 氏
 
「この国がここまでひどく、急激に崩れた原因」又、「僕たちは、僕は今、何をなすべきなのか?」を木谷氏が9歳の頃の1枚の写真、その原風景をもとに、説明していただきました。そのあと「朧月夜」「あざみの歌」「故郷」を、出席者全員で唄いました。特に内山源蔵会員は、大きな声で熱唱されていました。
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クリスマス家族会

 日時 20101211(土)1800~2030場所 
東武ホテルレバント東京
出席 
会員
18名 家族・ゲスト 27名 総数 45
 12月にしては暖かくお天気にも恵まれ、錦糸町の東武ホテルレバント東京にて2010~2011年度クリスマス家族会が開かれました。今年は、アトラクションに総勢17名のビッグジャズバンド、MDSジャズユニットの皆さん、マジシャンの有紀天香さんをお迎えし、スタンダードナンバーやクリスマスソング、また、不思議なマジックを楽しみました。ご協力ありがとうございました。
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